月曜には自殺者が多いという記事を読んで、今日が月曜日であるということをふと、思った、もちろん一年には52回(?)の月曜日があり、それは人類の間にしばらくは存在する、習慣であろう。(シャンソンでは“暗い日曜日”であった)月曜日だから、そして自殺する人に、私はもちろん何もできない。しかし、世界の状況はひどいのかもしれないが、人生、世界は、ある時、捨てた物でない、と思わせてくれることがある。
先日、家のガキが家の中で走り、ドアの縁にぶつかり、頭を切り縫ったそうである。(実際私は見ていないのだが)そうしてそんなに急いだのかと聞くと、家の中に“お化け”がいたらと、びびり、走ったのだそうだ。だが、人生長くなると“お化け”以上に戦わなければならないものがある。それは、自分という名の巨人である。自分ではあるのだが、コントロールできない物が、自分の中には住んでいる。
山の中を一人で歩くと、自分と話すことが多くなる。なぜ、私はここにいるのか?なぜ山に登るのか?私は、マウローのように“そこに山があるから”などといえない。自分の小ささを感じるためである。面白いなどと思ったこともなければ、人に迷惑ばかりかけて、反省ばかりしている。それでも、自分の情けなさを確認するには十分だ。人生とは、そんなにすばらしい物でもなければ、見捨てた物でもないと、常にコインの裏と表だ。(パンドラの箱だ)
すばらしい話をしよう。目を閉じてみると、その中に宇宙が広がる。そこには、光があり、光は何かを導く。光のないところは闇だ。闇は光があるから闇であり、光は闇があるから光である。あなたは、光をつかみ、それと同時に闇をつかむ。
月曜日である、皆さんが幸せにやるように、私は祈る。もちろん私には何もできないのだが、
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