これは、私の個人的な趣味であり、基本に大切、もしくは、基本がなければ前に進むことができない。という考えから来ている。
経済(economy)とは『家計を管理する』というギリシャ語に由来する。 社会が保有する資源は限られており、そのため人々は手に入れたい財、サービスをすべて生産出来るわけではない。(希少性)その希少な資源をいかに管理するかが経済学。
経済学の十大原理
第1原理:人々はトレードオフ(相反する関係)に直面している。
色々なトレードオフがあるがここで注目されるのは効率(性)と
衝平(性)の間のトレードオフにも。
効率(性):会社が希少な資源から得ることができるものを最大限獲得(経済のパイの大きさについて)
衝平(性):その資源から獲得したものが、会社の構成員の間に公平に分配されているのか?(経済のパイのわけ分について)
政府の政策においての力(これは第7原理でも述べられている)
第2原理:あるものの費用はそれを得るために放棄したものの価値(機会費用)
第3原理:合理的な人々は限界的な部分(限界的な変化)で考える
⇒限界的な便益が限界的な基用をうわまわる。
第4原理:人々はさまざまなインセンティブ(誘因)に反応する
ここまでは個人の意思決定に関する原理である。
意思決定の多くは、自分だけでなく他の人々に影響、人々が相互に影響しあ
う方法を以下の3原理は説明する。
第5原理:交易(取引)はすべての人々をより豊かにする。
第6原理:通常、市場は経済活動を組織的する良策である。
市場経済においては中央集権的な政策決定者による意思決定は、
膨大な数の企業や家計の意思決定によって代替
第7原理:政府は市場のもたらす成果を改善できることもある(第1原理)
最後の3原理は、経済全体の機能に関する。
第8原理:一国の生活水準は、財・サービスの生産能力に依存している。
第9原理:政府が紙幣を印刷しすぎると、物価が上昇する→インフレ
第10原理:社会はインフレ率と失業率の短期的トレードオフに直面している。
→フィリップ曲線
以上がマンキューの述べる経済学の十大原理である。そして、みなさんも気づいているとは思うのだがこれは、私達の生活の中で、すでに使われているアイデアでもある。
そういった意味においてまさしく経済(economy)とは「家計を管理する」ということなのだろう。
しかし実際の私達の生活は、経済学の表す合理主義のようにすべてうまく行動できるわけでもないのである。(もちろんマンキューもすべてが合理的であるわけでないと言っている)
私は先日、阿久津に以下のことを言った。
『賢く、やる気のある人間と仕事がしたい。しかし、賢く、やる気のない人々とは仕事をしたくない。賢くなくてもやる気のある者と仕事をしたい。』
賢くなく、やる気のない人間は最悪である。 まさしく、我合理的にあらず。
今、ピンチョンを読んでいる。(これも合理的なことではないだろう)しかし、久しぶりに感じるものがあった。(性的なエロス)どこまで行くことができるのだろう。どこまで内に入ることができるだろう。人生とは、探究することである。どのように探究するかは、個人の自由である。
エリオットの詩
In my beginning is my end
In my end is my beginning.
T.C.Eliot
それは合理的、非合理的にあらず。
生きるということなのである。楽しく学ぼうシリーズである。
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