温故知新の身体論
異人である。古武術を自らの身体を使って、研究、実践する変わった人。でも非常に興味深く面白い。近代社会を受け容れることによって失った、昔ながらの身体の動きと力。近代によって失われた様々な事象に関心が有る人には凄くお薦めです。
生憎、私は古武術を実践しているわけではないので、術理的なことは正確にはつかめないが関心と興味がある。それはいろんな事象の、物の考え方、捉え方に繋がると思う。日本には優れた身体の使い方が存在していたのだ。考えると楽しいではないか。それを現代に甦らせる。これも一つの革命である。失われたものを元に戻すのは非常に難しいことかもしれないが。
キーワードとして「身体を回さず、捻じらない」ということ。そのつながりで私が最も興味深いのは、「昔の日本人は現代人のような歩き方ではまったくなかった」という部分。少し抜粋してみよう。(現代のように、左足が出る時に、右手が出るような、身体を捻じって歩く歩き方じゃなくて、左足が出る時は、右手が出るような歩き方です。)私は走ることが苦手だが、歩くことは好きだ。旅とはまた歩くことでもある。私の記憶の中で、小学校4~5年生の頃はこの歩き方をしていた気がするのだ。学校まで片道2㎞ぐらいだった。その当時はかなり歩くのが速かった覚えが残っている。しかし、たぶん運動会の行進の練習かなにかで刷り込まれた近代の知識によって、その動きを失ったんじゃないかと思う。
最後に私が共感し思考している部分を抜粋しておこう。「人間が最後に生きるか死ぬかを分けるのは、その人が人生楽しめるか否かだ」。「人間は自由なのか、それとも宿命に操られているのか?人間は自由であるときにこそ、その宿命を知る」
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