先日行われた、ボクシングの四大世界タイトルマッチを観て、西岡利晃選手がチャンピオンになった試合はとてもよかった。素直に感動させられた。ボクシングというドラマが産み落とす、奇跡的な時間の流れ。それは観るものを同化させるというか、その試合に引きずり込み熱くさせる、不思議な魔力をもっていた。それこそが、ボクシングに限らず総ての格闘技に於ける、試合を観続けるものに対するご褒美である。そんな瞬間は極稀にしか訪れないのだが、下手な芸術など吹っ飛ばすほどのパワーに充ち、人を歓喜の瞬間に導く、真の芸術である。「芸術とは人を感動させるもの」であるならば。宗教と芸術が結びついているように、格闘技もどこか宗教的な部分を分かちがたく内包している。道を究めるという思想。
西岡選手の登場シーンを見て、「きれいな眼をしているなー」と、まず感じた。そして、その眼にすべてが表れているような気がした。澄んでいて、しかし底深い、どこか悲しみを背負っているかのような、(言語化するとちゃちな感じに聴こえてしまうが)その思いのようなものが眼と顔貌に表出しているように感じられた。「眼がきれいな奴は強い」、それは大概当てはまるような気がする。試合も美しかった。紆余曲折を経てようやく辿り着いた、西岡選手のほっとしたような複雑な表情が、なんとも印象に残った。試合後のインタビューで、感謝の言葉のみ口にするのを聞きながら、彼の苦しみと困難だったであろう人生を透かされたような気がした。それは、どこか宗教的で、修行僧の言葉のようにも聴こえた。夢想は尽きない。
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