読む人間 を 読んで
大江健三郎の”読む人間”を読み終えた。そして、私が自分自身確認したのは、私が大江健三郎という人間を理解しているか?という”疑問”があるということである。人は、常に疑問を持って生きているのでは?などと勝手なことを思ったりもする。とにかく、考えさせる読書講義であった。
何も考えずに生きる人間がいるのなら、その人間は天才か、人生をよほど楽しむ、もしくは楽しむことができない人間ではないだろうか?一方で、人は悩むから人生を楽しむことができる。と思う人がいるのではないだろうか?私は、後者。どちらが幸せかは、判断できない。しかし、どちらがいいのかは判らない。しかし、大江健三郎という人間は、常に人との関係(他者)を大切にし、しかし一方で他者を受け入れない自己を持っている。(矛盾しているように感じるが)
また、このブログに書かれたことが、大江氏のことを理解しているのか?ということも思う。私は、一介のスニーカーを売る人間であるが、どこまで自分自身をそして、他者を理解できるのであろうか?と Chapter人間などが存在することがありえるのか?と(笑い)をこめて考えている。(肯定的)
大変ためになる。少し表紙の大江氏の写真に気になるところがあるが。(彼は、もっと自身のない表情をしていた。それが魅力であった。)
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