果てまた海外で今日は、香港、中国のスニーカー工場の振り屋さんと話をしていたのであるが、その中にインド人のような香港人のおじさんが混ざって話を聞いている。このおじさん、私が“貿易をするなら香港”などと言ったのでその貿易どのようにしたら香港をうまく使えるのかと、知り合いの振り屋さんに誘われて一緒にきたのである。しかし、彼の英語は聞きづらく私は、振り屋さんに通訳をしてもらい、うまく相づちをうち、1時間が過ぎてしまった。香港の魅力ある会社経営なるものを、私も何となく理解しながら果ては、奈良の空へと飛行している。
百済観音は、顔が長い。その美しさが飛鳥の里にはあり、私達の祖先が朝鮮半島から渡ってきたことがわかる。その美しさは、夕立雲からこぼれる一筋の光のようである。しかし、時代が少し下がり鑑真和尚の時代となると仏像もふっくらとしてきて、文明の力強さがその体格にほとばしり始めるのである。それは、知識をまたは豊穣を、古代からの農業神なるものを表す、一つの土の神、女性神とでも言えるようなあたたかさが、特徴である。そんなことを感じながら鑑真和尚を奈良の美術館で拝んだのは2−3年前だと思う。私は、雨の日近鉄奈良駅から意気揚々と歩いていったのであるが、次の日にはなぜか2ヶ月ほどビッコを引いていた足がまた、痛くなりそのあと2ヶ月足が、体が痛かったのを覚えている。
日本は多くの渡来人により技術を、文化(思想)を伝えてもらい初期の日本の形を作っていくのである。物の部、空海、最澄から馬琴まで(飛び過ぎ)日本がうまく立ち回ったのは明治維新より少し前、第一次産業革命に間に合ったため、何となくうまくいき、太平洋戦争で負けるも、朝鮮戦争、ベトナム戦争の特需の中で産業が栄え、もちろん私達の親は、44歳、苦労を重ねたのであるが、何となく右肩上がりの時代を迎えることができたのである。ただ少数の人たちは大きな決断をしたのは確かであるが。
ここで、だから私は香港に来ていろいろと香港のいいことを学ぶ、などと言ったら綺麗すぎる。美しいのは奈良の唐招提寺の階段から左を向いた景色。奈良だなーと思う。万葉集の奈良の山々は背が高くない。神が降りてくるのは小高い岡の方が良いのだろう。とは思うも鐘もなるなる、柿は固い、懐も固く、今年の目標は“GREEDY”。ウオールストリートの証券会社は世間から嫌われ、シラーの励ましの言葉が東洋経済に、応用数学はフランス人が多いのか?スニーカー業界の嫌われ者は、私達、それも中途半端な大きさだから。それもどうしようもない、私が中途半端だから。既にドン、キホーテの途中に本を3冊も読んでいる。これでは前に進まない。三歩下がって日本上がる?これ以上日本の円は上がらない。既に私はドルを買っている。日本を脱出。そこらの勘は、あっているはず。何せやることがなくそんなことばかり考えているのだから。
今日は眠たいので続きは明日?一週間にはほど遠い。
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