世の中のカオスを一言で表すなど不可能である。しかし、どうしても人々は世の中の仕組みを一言で表したくなるものである。そこに拝金主義がはびこり商売が見えてくるのである。(それはしょうがないとしても)
“世界経済の大潮流”、水野和夫氏の本を読んだのであるが、タイトルのごとく世界経済を歴史の中に照らし出し、歴史の中でどの位置に現在は存在し、どこに行くのか?を問うているのかを説明しているのである。すべての文献は、リーマン後のものであり、そして福島の原子力発電所までの中で語られており、作者の考えはその中で一管して“現代が歴史の中での大変革期”であるという論調に終止している。いろいろわかりやすく書いているのであろうが、複雑なことを簡単に説明することは、簡単でないと思われる。そういった意味で、220ページではやはり物足りないものにならざるしかないのであろう。(現代人は時間に耐えられなくなった。)
拾っていこう。まず、コレクション的な考え方。これは、読み進めていくうちにジョン/エルスナーの考え方だとわかる。(すべてのコレクションという行為は、過剰に行き着く。またはコレクションは不完全である。)例えば、ECは国を拡大させようとする。これはコレクション的行為であり、限度が存在せず人は、領土の拡大をしようとする。そこに作者は限界を感じているようであるのだが、私はその限界が存在するので人は前向きになれるのであると思う。すなわち、技術の発展が見込めるのである。(イノベーションにも作者は否定的にとらえている所もあるのだが、私はそこも?)
グローバル化については、かなりの所で共感する。かつての様に、地域的に世の中がクローズドではなく、オープンに開かれている。例えば、ネット会社、楽天の記事が先日の新聞に載っていますが、税金のかからない国に事業を持っていき、利益をあげようとしているのである。アマゾンは、日本に税金をほとんど払っていない。(アメリカでも同じで州税の安い所に事業所を作っている。)企業の国籍はどこにでも移せるのである。それは、企業は単純労働であれば、賃金の安い所で作るのが一番であるとの結論を得るのは難しくない。また、それは、知識のあるものと、単純労働を糧として活きているものとでは、所得に開きが出てくる。(所得格差の拡大)そして、この所得格差のグローバル化での変化があと20−30年続くものだと著者は考えているのである。(所得の再配分政策)私も日本人の賃金はこれ以上、単純労働しているだけでは上がらないと思う。何人の人がグローバルの中で生活できるのであろうか?恐ろしい?やる気のあるものには面白い?世の中になってきた?
海の時代から陸の時代は、フローベルの“地中海”をもじったものであると思われるのだがが、本当にそうなのであろうか?私は、海も陸もなく、地球時代になってきたのではないかと思う。すべての人が“地球は小さい”(フロンディアの消滅)を感じているのではないだろうか?海にいようと陸にいようと平面的にはすべてがわかっている。それならば、高くあげるのか、深く掘るかである。(ここには、燃料問題の解決も含まれるし、イノベーションの可能性をも感じるのである。)もしくは、宇宙に飛び出そう。(針はカルシウムが体から出て行くのを防ぐことができるそうだ)
経済などは、人が飯を食い、うんこをし、眠るサイクルでしかないのであるが、ひとには欲望があり、その欲(生物的でない)が人を何かに駆り立てるのである。生きるものすべてが、他のものに生命を奪われない、子孫を残すことに対して常に圧力をかけられているのを、経済学者といえども忘れてはいけないのでは?
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