こんなのはどうだろう?マーラーの7番を聴きながら、レイモンド カウァーの短編集“愛について語るときに我々の語ること”を読む。机の左手には、今新国立美術館でやっている“フィリップコレクション”の図録、表紙は、ホパーである。目が冴え、読み物は進む。しかし、やはりアメリカ現代文学は私にとってピィンチョンであり、ジョン バースである。これも現代的。絵画なら、やはりクーニング。人の人生を量ることはできないが、私は“ドラゴン桜”の最終刊を何度読んだことだろう。現代は、愚直に生きることが難しい時代である。しかし、愚直に生きなければ滅びるだけだ。それも速く。それも現代的に。
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