夏目漱石の“硝子戸の中”を読み、やはり夏目漱石は漱石だ。と想うと何か漱石に関係するものが目に付く。例えば、子規野球場が上野にあるが、日曜日そこの前を通る。道を歩く。猫がいる。ニャーよニャーよ となく。その猫の名前は、ホメロスを思い出す。そうしていると時間が経って人生まんざらではないなーと想う。
何か食べたくなる。漱石は、胃が悪かった。子規は死ぬまで食べていた。人との関わり、その人との心のやり取り。その時の内的告白。いろいろな人生があり、その機微を漱石は、描く。人は社会的生き物だ。会社なるものをやっていると、いろいろな人に会う。弊社で働く二ともいる。その人それぞれに人生があり、人との関係がある。しかし、どうしようもないことをやる人もいる。そこには、中から見ているだけではどうしようもない、こともある。困ったことだ。朝から憂鬱だ。
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