物事をおこなうのだが、そのことが目先の“人参”なのか?それとも将来の“人参”なのかで大きく“おこなう”と言う行為の意味が違ってくる。私の“おこなう”という行為は、それとはまた違って“本当に意味の”脈を失った“ものである。その”脈を失う“とは何かというと、私の中においてしか、商売に、人生に意味をなさないものである。それを知るので私は時に”おこなう“行為に圧迫されてしまうのである。
毎日ほぼ、11時ごろに寝て、2時半頃に起き仕事を少しし、3時半頃から5時まで寝る。しかし、自分の気持ちに余裕のない時はそのまま5時まで寝る。この“寝る”という“行為”は私の中での“戦略”であり、自分の考え、進むべき方向を落ち着いて考えさせてくれる方法である。“我眠るゆえに我あり”なのである。
そしてやはり思うこと。
1、海外にでるべし
2、新しい売り方を考えるべし
3、多くのことはやれないと言うことを理解するべし
いろいろやり過ぎである。(知りた過ぎである)私は才能を持ち合わせていない。やはり謙虚に生きるべきである。これが本日“寝る”ことにおいて産まれた”戦略“である。
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