世界をどのように解きほぐすのか?それがテーマでもある。人は死にそして産まれる。どのようにしていようが時間は過ぎ、その時間さえ人々は理解することができない。人はすべてわからない世の中で生きている。生きているということは、夏目ではないが“とかくこの世は住みづらい”のである。向こう三軒が、共同体になり、国になる。その中に、食べる、生きるというルールが生まれ、その中で人は生きなければならない。だから、人は歴史を調べ、これまでの人の生活を顧みる。
ヘーゲルは歴史の終点を表し、マルクスは現実の中で交換と経済の関係を表した。私は、靴屋であり、靴を売るために時間をとり、生活をしている。あまり時間がない。やりたいこともたくさんある。ピアノが弾きたい。旅行がしたい。といろいろあるが、世の中が知りたい、知りえなくとも自分の中で消化したいと思う。これは幻想なのであろうか?
フクヤマの“歴史の終わり”には未来が見えないと思い、ヘーゲルを読んだのだが、ヘーゲルの思想にも終わりがある。終わりの始まり。始まりが大切なのだ。ワンピースでは、2年後のルフィーが始まった。始まりの終わりどうなるのだろうか?終わりがあるのだろうか?もちろんある。しかし、どこで終わるのかはわからない。わからないから、学ぶ。今、柄谷氏の“世界史の構造”を読んでいる。未来はなければならない。できることなら、“幸せ”がいい。
本日も頑張ろうと思う。
コメント