今、世の中では工場、廃墟した工場を見学するのが流行っているようであるが、海外のスニーカー工場に年に何回も訪れるのは、とても骨の折れることである。これは流行ではすまされない問題である。UBIQをデザインする小坂は、月に一回海外の工場に製品の確認と開発のなめに行っている。私もよくこのごろつれて行って(?)もらっている。今年は、これで5度目であると思う。
私達の規模でスニーカーを作るのはとても難しい。これはデザインが難しい、という意味ではなく(もちろん難しいのだが)規模的に少量のスニーカーを作ってくれる工場がないのである。世の中は、まさに生産性、効率を求めているのである。(経済の教科書を読もう)その中で、いろいろなつてを頼りにいろいろなところに行くのである。今年始めには、ベトナムの工場に2度も行った(暑い中を街から2時間もかけ)のだが、うまくいかなかった。そして中国、韓国と。工場も私達を選ぶし、私達も工場を選ぶ。いいものが作りたいのだ。
そして今、工場にいる。私などは役に立たない。デザインのよしあしは、私には理解するのが難しい。(私が好きなものが世の中で受け入れられるとは限らないのである。)しかし、なぜか工場にいる。工場のにおいが好きなのかもしれない。もしくは、東京にいても役立たず、気晴らしにきているだけなのかもしれない。しかし、ものができるのを見ると、うれしくなる気持ちは、誰でも持ち合わせているのではないだろうか?(今の世の中ではなかなか味わうことができない)また、いいものができるとうれしくなるのは、作っている人の近くにいないとわからない。
物事は、すべてが“たかだか”なのだが“されど”なのである。スニーカーにはにおいがあり、そのスニーカーのにおいが工場にある。そんなにおいを嗅ぎに工場に来ている。
サンプルルームの風景 物の生産の現場である
コメント