このごろの傾向として世界は、数字に満ちあふれている。すべての物を数字化しようと努力し、多くの人がアルゴリズムを見つけ出す努力をする。このアルゴリズムを、見つけるのがこの世をうまく生きるために必要な道具と言った具合に。すべての物には、数字で表せる何かが存在するのかもしれない。しかし、もしあったとしても今の技術、科学の推移では、すべてを理解知るまでに、どのぐらい時間がかかるのか?まさに、生物学、物理学、数学などありとあらゆることの理解が必要なのであろう。
この本が書かれたのは、第二次世界大戦の時期である。ヒトラーがヨーロッパを征服し、彼の政権が多くの人を、特にユダヤ人、ジプシーなどの弾圧を加えて、世の中を恐怖に落とし入れたのである。そこには、数字、常識では計りうることのできない、人の凶器、狂気が存在し、多くの人がその思想についていったのである。それは、“数学を美しい”などという暇もない“恐怖”である。しかし、その時代のドイツには何か常識を超えた熱狂が存在したのであろう。数字以外の物で計るしか、今の私達にはわからない何かが。
√2を求めるには、ヘロンの開閉法を使えば良い。√A=1/2(a+A/a)である。これの繰り返し。しかし、式の美しさと、限りなく続く文字列の果てしなさに人は、数字を恋するのかもしれない。もしくは、人は数字の本質を理解できないから数字を恋するのかもしれない。もしくは、数字は幻想なのかもしれない。もしくは、と続く繰り返しが、数字の魔力なのかも。そうウィトゲンシュタインの思想を理解する必要がある。(?)もちろん人生を楽しむ人、もしくは飽きた人にとっての仕事なのかもしれないが。
美しい挿絵と、数学の役割。簡単にそして美しく説明しようとする姿。数学に興味がなくとも読むべきだと思う。何せ、現代とは数字が人の価値を決めているのだから。
夜中の3時にマーラーを聞きながら、現代を思う。あまりにあまりに美しく悲しい旋律に“謙虚に、謙虚に、糞食らえ”と思う。
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