夜には夜の文章がある。
たとえばこんな話。むかしむかし、チャプターというスニーカー屋さんにチャプター君がいました。スニーカーを集めては売り、集めては売っていました。ある日の夜のちょっと前、一人のお客様がやってきて、スニーカーを売ってくれと言いました。チャプター君は、サイズはいくつですか?と聞き、そのサイズを持ってお客様のところにいきました。チャプター君が、では、履いてみますか?と行動を起こすと、お客様は、試し履きはしなくてもいいよ、と言いました。お金を置いてちょっと夜の入り口にはいった街の中に消えていきました。
次の日のやはり同じような夜のちょっと前に先日のお客様がやってきました。先日買っていただいたスニーカーをはいて、ペッタンペッタンと歩いてスニーカーを見ています。その時に、チャプター君は、お客様の足が棒であることに気づきました。案山子の足にスニーカー。そんな視線を意識して、お客様はいいました。僕の足は吹っ飛んだ。僕の足は吹っ飛んだ。そして涙を流し、その粒には月が写り、その月の中にお客様が立ち、涙を流し、涙の中に月が写りーーーーーチャプター君は夜の夢の中で涙しました。
先日、知人と話をし、姉が死んだといくことを聞き、私の弟も37回忌を迎え、一度も自分の足で立つこともなく、スニーカーを履くこともなく。
ふと心に、ゴーギャンを想い。ガキはママとお話をせがむ。夜がはじまり、朝に至る。谷川俊太郎だ。太陽はすばらしい。バタイユは、太陽校門を書き、夜の静さの中で、夜を待ち朝を迎える、
夜の文章とは。
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