根津美術館が新しくなったので、11月8日に行ってきた。(今年からの新館のオープンに伴い、8回の展示の入れ替えがあるようだ)その第一弾として、国宝の“那智の滝図”含めを含めて、6つの展示室で繰り広げられる、展示品を期待して見に行った。
はじめに、この鉄道王、根津さんという人の資産が莫大だったのだろうということが見てとれるコレクションであった。とにかくすごい物ばかりである。野々村仁清、中国の青銅器、仏像石像、茶道具などなど。とても集めろ、といわれても集められる物ではない。当時でも、いくら金額がかかったのやら。私はその一点、一点に魅せられた。しかし、全体とするとまとまりがないような気がするのである。これは、なぜなのだろうか?
まず考えられるのは、私がこの根津さんのコレクションに嫉妬しており、金に物をいわせて買い集めたと思っている。もしくは、私の感覚が狂っている。さらには、本当に金に物をいわせて買い集めている。では、どれが正解のであろうか?それには骨董というものを知らなければならない。
骨董とは、誰かに頼んで集めてもらうものである。特にこれだけのコレクションを集めるとなると、多くの専門的な知識がある人が、関わっていたのだと思う。そうするとコレクション自体に人間関係が存在してくる。根津さんに買ってもらって生活している人もいたのではないだろうか?そうなってくると、コレクションが商品になり、それによりコレクションにまとまりがなくなるのである。根津さんは買ってあげているのである。
私の知り合いも骨董を集めているが、出入りの業者さんから、3−5回のうち1回ぐらいは買ってあげないといけないなどと言っていた。それによりいらないもの(興味のないものまで集まるのである。)自慢であるが、私の感性はそんなに狂ってないと思う。コレクション自体には、まとまりない。そこには、金のにおいがする。しかし、一点、一点はすばらしい。そんな根津美術館ではないかと思う。
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