4700円が高いか安いかは人によって違うのだろうが、第一次世界大戦後のヨーロッパの情勢と、社会主義とヒトラーの出現の前のドイツ、人々の生活とヨーロッパの倦怠感、その時代背景と現代の時代背景との比較、そこに生きる私達の差異を理解することによる、お金儲けの絡繰りと、やはりどの時代にも存在する、社会格差と人の質、どれもこれも時代に関係なく存在する、人々の生活。私達が古典文学を読むことにおいて学べることは、とても多いのである。
自然の中で生きるとは、差別の中で生きることである。すべての生き物が、生きるために凌ぎを削って生きているのである。それは自然環境に適応して生きているのである。(ダーウィンの言っているように、もちろんダーキン的に遺伝子までその進化を掘り下げることもできるのであるが)それは、エウァンゲリオンはオニヤンマであるのか、精子、キンタマ人間なのか?そして環境に適応しないものは滅びるのである。人間も同じである。もう少し人は、社会的なのか?もちろん金銭的なのか?そうではない、“あのすばらしい愛をもう一度”?すべては私達と共にある。どうでも良い、しかし、どうでも良くない、まさしくクンデラ的な“存在の耐えられない軽さ”なのである。
重力は存在し、ヒックス粒子はどこに存在し、私達を作るものは何か?それがわかれば本当に私達が何なのかわかるのか?それともホーキング博士の言った“女性の気持ちは不可解だ”そうなのだ、人間とは不可思議なものである、ねーチャンの気持ちもわからない人間は、自分の気持ちもコントロールすることができない。行動経済学である。人は、合理的にできていない。しかし、存在する。それは、私がはじめに書いた、“環境に適していないものは滅びる”に適応するのか?時間をコントロールする。またもや、マルクスの登場(社会主義の発達の中でのベルリン アレクサンダー広場の場面)で、時間をコントロールしようとしたのは、アムロ(ガンダム)なのか?
私達はどこにいくのであろうか?(そんなの知ったことではないのであろうが)私は、民話の中に沈んでいく。眠れ眠れ、シューベルトは32歳で世を去った。私の中には北原白秋がいるのか?私はそこまでロマンチックではないが。年をとった人は、猿のみである。(私達は、猿から進化した?それとも猿にもなれる生物から進化した)進化した人間は、お金を数える。マネー、ピンクフロイドが今日も叫ぶ。
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