夢には二つの夢があり、一つは過去の夢、もう一つは未来の夢である。夢というのは現実に起こりうることである一方、起こらないこともあるという幻想という意味合いを含む言葉である。その夢を思うと、過去の夢は、昔はよかった。昔はつらかった。ということになるのであろう。いっぽう未来の夢になるとこれまた違う。宇宙に行こう。と私は思ってしまう。この状況が、私にとって今の世の中に体する状況を、はっきり表しているのではないだろうか?
世の中には、人の関係の世の中の広がりと、空間的な世の中の広がりにわけることができる。前者の場合、世の中は広いということになるのだが、後者の場合においては、狭いということになってしまう。私は、後者のことを言っているのであり、人類に将来なる夢、もちろん現実になるであろう夢を与えるには、宇宙に誰かがいかなくてはいけないのだ。生物とは、空間的広がりが必要な、まさしく生き物なのだ。
今の地球の状況は、空間的な広がりが限られている、とすべての人が気づいているし、気づいていない人がいたとしても、これだけ知識が簡単に手に入る世の中では、すぐに気づいてしまう。世の中とは、区間的にとても小さい物なのである。人々に夢を与えるには、空間的な広がりを、すべての人に意識してもらうしかないのである。それがまさに、フロンティアなのである。もちろん、心の。
ここからは、まさしく私の中の心の動き。ニィーチェが暗い中で思想を育み、とりとめのない数字の行を解きほぐす、計量経済学者が、最後に株式市場の数字でy=ax などと金儲けをし、暗い拷問室で、拷問させる人と拷問する人。すべての人にはデスマスクがあり。人類、いや生物、宇宙でさえも生命があり、必ず滅びる。そこには、滅びの美学があり。刀の色は?どこの鉄。ロマンがあり、自己満足がある。私の人生なんて“ゴミ”いや、“ごみ”にもならない存在。
海外に行こう。宇宙に行こう。ガキに夢を。人類に夢を。もちろん将来に力を。今日も幸せを
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