サイードの”晩年のスタイル”
毎日、もう少し人にやさしくしないといけないといけないと思っているのだが、うまくいかない。自分ができていないせいなのであるが、自分が苦しいと人に文句ばかり言っている。人は、今のところすべての人が死んでいく。それは、普遍的なことではないだろうか?私も死ぬのである。それは感謝しなければいけないことなのかも知れない。限られた生の中で、私はもがきながら生きるのである。それは、サイードのいう晩年のスタイルなのであろう。
日曜日の文化面に、加藤氏の文章が載っていたがまさしく同じことを書いている。(二番煎じで面白くないのだが)しかし、生きていくのは、面白いし苦しい。Chapterをやっているせいなのか、たまたまなのかわからないが、三上とはすでに25年の知り合いだ。阿久津も10年の知り合いだ。知り合いを超えている。まさしく家族である。感謝している。
3年前、これは死ぬと思った時、弟が夢の中に出てきた。弟は、ダサい恰好で兄貴”頑張れよ”と言った。ばあちゃんが夢の中で”こっちにはこんでいいから”と。当時は、48キロしか体重がなかった(身長は184センチ)死んだ人間にやさしくしてもらっているのに私は、人にやさしくできない。しかし、理解してもらいたい。いつが私の晩年かわからないので、もがき苦しんでいるのである。もちろん私は、地獄に行く。私の近くの人とは死んだあとは、会うことがないだろう。悲しいかな。この頃は泣いてばかりいる。
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