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「葉桜の季節に君を想うということ」 歌野晶午
小説として破綻していると感じた。小説という生き物を最後に殺し、息の根を止めてしまった。興醒めである。それがトリックや推理の為であったとしても、小説世界自体までも死んでしまうのでは元も子もない。小説は疾走する、ときには暴走する。それは人智でどうにかなるものではないのだ。私はそういう小説が好きだ。観念でひねり出したものを読むのはどうも苦手である。この作品は私の中では評価できない、何故こんなに評価されたのか不思議である。夢想は尽きない。
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