平家物語と世の中の流れ
世の中の流れはこれからも等加速度的に早くなっているのだろうか?多くのものが進歩し、私たちの想像する以上の速さで私たちの環境は、変化していくのだろう。しかし、私たちの意識的なものの変化はそれほどのスピードで変わらないのではないだろうか?それこそ、ハイエク、フリードマンのいう国家の規制という概念と似ている。人は一度規制をかけるとそれをうち破ることがなかなかできない。と同じように、人は認識という意識の固定化の中から脱することができない、のではないだろうか?
私たちの仕事を見ていても同じである。おおくのひとが、日々同じことをして満足している。自分のできることのみを行い、それに満足する。いや満足などしていない。ただ、時間を浪費しているだけなのかもしれない。しかし、それが人なのかもしれない。まさしく所業無常の響きなのかもしれない。人は、生まれた時から、意味をなしていないのかも知れない。などと思いながらしごとをするとどうにも悲しくなる。
時間の流れは早いものである。悲しいかな。自分の流れは遅い。大きな欠伸をしながら。今日も生きなければ。
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