ドストエフスキー と コードギアス NO5
本日の日経新聞夕刊に、ドストエフスキーの記事が載っている。よく言われているように、今巷では、”カラマーゾフの兄弟”が売れているそうだ。そして、なぞが解けた。お店の人の紹介で、アニメ”コードギアス”を見ているのだが、そうだこれは、ドストエフスキーのパクリだ。と 特に”死霊”の
多くの人がものをパクル。それがレディーメイドともてはやされているうちはいいが、あまり度が過ぎるとただのコピーになってしまう。(うまくパクらないとダメだ)多くの人が、ユリシーズをパクってきた。その中でも、ジョイスは一流だ。ディシャーンも一流だ。そこには彼らの世界がある。しかし、このコードギアスはどうなっていくのだろうか?
スニーカーにしても同じだ、どのようにパクルのか?たぶん人の足がこのままの形状ならば、すでにパターンは出尽くしているのではないだろうか?そうなってくると、ロボットの足のようになってくる。そして、何かしらの機能を伴って。まさしく、ガンダムから続くアニメのようになってきた。
拝金主義の中の、人間関係。人々は何を求めているのだろうか?暗い感じになってきた。ダミア。それは、振られた女の暗い日曜日。(違う違う)
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