英語 と 日本
今週の東洋経済の ”日本 と 英国”を読み、私は、根本的な問題が、日本 と 英国では異なっていると感じる。それは、”英語”という語学である。 内容は、こうだ。サッチャー以降ブレアにいたるまで、英国は大きく改善された。それには、大きく4つの改善が存在した。 1.労働条件 2.教育革命 3.医療革命 4金融市場の創造 まさしく、すべては、安部政権が掲げているものと同じである。
そして、多くのこの改革にかかわった人は、述べている。経済の発展なしにうまくいかなかっただろうと。 すなわち、GDPの20%を占める、金融なくしてこの英国の経済的腐敗からの脱却は、なかったのではないだろうか? とそこで思うこと。
まず、私たちは、スニーカーを売っている。もちろん仕入れている。やはり、どんな国に言ってもコミュニケーションは、英語である。Chapterのスタッフも海外に行くと機能停止である。コミュニケーションは目的ではなく、手段であるのにその道具が使えない。話の外に置かれてしますのである。だからといってすべて英語というわけでは、ないのである。その英語を補うコミュニケーションの方法をとればいいのだ。しかし、それには必死さが必要で、今の若い人には格好悪く見えるのだろう。 本当に問題だ。
などと思うと、日本は未来はどうなるのかと思ってしまう。英国のまねもいいが、根本的な壁が日本には存在すると認識しないといけないのでは、ないだろうか? (もしかしたら、私の考え方自体が古いのかも知れない。国と国という感覚はなくなり、中には日本から独立を考える人も出てくるのではないだろうか? ) しかし、そこに残される人は、たまったものではない。 (これも私の考え方の間違えなのかも知れない。 無知こそ最大の防御なのかもしれないから) と堂々巡りをしている。 今日の朝。
まさしく、世の中はわからない。(知っていますか? ブラックストーンの会長の年収は、500億もあるのを。そして上場して更なるお金を手に入れたのを)
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