歌を詠む
スニーカーにファッション性があるように、文学にもファッション性がある。特にこの頃の日本文学は、村上春樹を中心に、翻訳ならば、柴田氏と文学的ファッションは決まっているように思える。特に、村上氏がカフカ賞を取ってからは、ノーベル文学に一歩近づいたといわれている。しかし、私は古典的なものに興味がある。
五月雨を集めてはやし最上川
五月雨や大河を前に家二軒
五月雨に子地蔵頭ほっかぶり
と私は、雨をみながら歌を詠む。 やはり蕪村の歌は、墨絵のようでとてもいい。そこには大自然の前での人の無力さや、存在価値を教えてくれる。歌とはイメージである。 かたや、私の歌はどうであろう?イメージがわくであろうか? あまりにも気持ちが前にですぎなのではないのだろうか? などと想いボーとしている。
今日も雨だ。(東京は)
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