chapterworld article
chaptrerは、スニーカーを売っている店である。特に努めているのは、海外の面白いスニーカーもしくは、手に入れるのが難しい商品を仕入れることである。また、多くの人にスニーカを知ってもらいたいと思っている。それなので、私たちは、Chapterworld Article をはじめた。しかし、この記事があまりにも批判的ではないかとの、指摘を受けるようになってきた。それは、何を意味するのであろう。
私たちも、時々感じるのだが、このスニーカー批評が批判的である、ということである。しかし、海外のサイトでは、決していいことばかり、もちろん悪いことばかりを載せているのではない。そこには、その記事を書いている人間の価値観、経験、感じ方などの個人的な、バイアスが働いている。それなので、議論になるのではないだろうか?(すべてが自己中心的なのである。)
私は、このChapterからスニーカー文化が拡った、と書いた。その気持ちは、今も変わらない。私をはじめ、三上、阿久津はその自負があると思う。私たちには、それを続ける意思があった。 私達は、絶対的なアクティビストなのである。
この前提にたって、Chapterworld Articleを読んでいただけると、また馬鹿が何かいっているよ、と面白く呼んでいただけると思う。そこには、バイアスが存在し、馬鹿さ加減が存在する。
面白さとは、難しいものである。昨日、病院に行き私は、4時間も待たされた。2時間ぐらい待っているおっさんが、看護婦さんにいつまで待てばいいのかと聞いた。そして、看護婦さんが、”もう少し待っていてください”というと ”いいや俺死んでも”といって帰ってしまった。私の気持ちを表すと同時に、その無邪気な言い方に、周りの人達は、面白さとを超えた苦笑いを浮かべていた。
皆さんもこの記事を読んで笑えるのでは、ないでしょうか? また、Chapterworld Articleを読んで笑ってほしい。
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