K1JAPANグランプリを観て思う事
先日TV放送された、K1WORLD MAXの日本トーナメントを観戦した。8名の選手によるトーナメントで、優勝者が本番の世界トーナメントに出場できる戦い。結局優勝は佐藤選手で、2年連続世界トーナメント出場を決めた。その中で一番おもしろかった試合は、一回戦の小比類巻VSオロゴンの試合だった。下馬評では小比類巻選手が完全に有利な立場で、オロゴン選手は格闘技を始めて半年の素人、小比類巻選手が勝って当然の試合であった。しかし小比類巻選手は敗れた。そこに、この試合のおもしろさはあった。
K1はプロレスと違い勝負が総てであり、勝者のみが評価される。非常に分かり易く、スポーツに近い感覚の格闘技。私は小さい頃からプロレスが好きで20年以上見てきたが、プロレスでは勝者が必ずしも評価されるわけではなく、いかに観客を楽しませる(喜ばせる)試合ができたかで評価は決まる。プロレスラーは対戦相手と観客の両方を相手に戦う。それがプロレスの凄味であり、プロフェッショナルの仕事だ。アマチュア競技はただ勝てばいい。プロとは相手(観客)を満足させ失望させない事。どこの世界でも通用し、当てはまるのではないか。私達はたまたま靴を売っているが、ある意味それもプロレス。それがわかっている(無意識の中でも)スタッフは、売るのが上手である。
また一方で真剣勝負の魅力というのも確かにある。それはなぜおもしろいか。生死がかかっているから。人は残酷な生き物であるから、死に近づくほど興奮する。元来人の本能(無意識)の中には、闇の欲望があり、それが殺人や戦争という形で現われる。法で禁止しているのは、それが起こるから、共同体を維持する為に欲望を抑えこみ、またあるいは開放したりする。
小比類巻選手には哲学が無く、オロゴン選手には哲学があった。もちろん運と実力も。しかもアフリカの戦う者の魂、戦士としての気迫が感じられた。私の勝手な想像であり、勝手な解釈ではあるが。しかし小比類巻選手は負けた事によって、プロとしての役割を果たしたともいえる。
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