三浦和義氏の不可解な最後
1981年から続く、この長い事件は、自殺という形で幕を閉じた。最後にまた謎を残して。かなり唐突な感があり、不可解な最後であることに変わりはない。私はこの事件を詳しく調べた訳ではないので、事の真偽は定かではない。しかし、人生において多かれ少なかれ、その報道等によって何らかの影響を受けている。それは、メディアの素顔の恐ろしさだ。いざとなれば、権力として「公正さ」などという仮面をかなぐり捨てるものだということ。結局のところ、この事件はあくまでも「疑惑」であり、その大小はあれど、確かな証拠もなく、黒か白かはっきりしない「未だ真相は闇の中」なのである。その疑惑を膨らませて一篇の物語を創りあげた。国家(権力)に反逆する者を抹殺する為に、そして、大衆の情念(過剰)の捌け口としてそれを利用した。犯罪者が裁かれねば、社会のシステムがたちいかないのは確かだ。「正義によって悪は裁かれる」という幻想に、むやみやたらに乗っかって生贄を求めるのも、また危険であると言わざるを得ない。彼がどんな人間だったかはわからないが、一生涯権力と闘い続けた人間であったことは確かであろう。夢想は尽きない。
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