四月号のフォーリンアフェアーズの記事は、多くを日本の原発危機について割いている。なた、ニュースウイークの見出しも“3.11 語られない現実”と今回の東日本大震災について述べられている。私の海外の友人も私に連絡をくれ、私以上に日本のことを残念がり、心配してくれるのであるが、私達の観ているものとの乖離がありこちらが戸惑ってしまうことが多い。
今回の大震災は、地震、津波の震災から、原発への震災、それもかなりの時間をかけなければ処理できないところまで被害が深刻になっている。どのように生活したら良いのかわからない多くの被災者の人たちを思うと同時に、日本として何をすべきなのか?どのように振る舞えば良いのか?しいて言えば、世界人としてどのように振る舞うのか?世界の経済的関連性、そして地理的にこれ以上広がることのできない、閉鎖性にどのように対処すべきなのか?と
このことが原因となり、世界の一員としての(国籍をおえた認識)の議論が日本でもでてきていい時期なのではないのだろうか?かつて誰が、国を作り、権力を作ったのであろうか?(こんなことを言ってもどうしようもない)人にはエゴがあり、そのエゴが国のエゴとなり、国のエゴが人を発達させるし、破滅へと追いやる。
今回の報道をみていると、日本国内の規制の多さ、また、情報の隠蔽(規制、隠蔽が悪いとは言わないが、規制、隠蔽するならすべてをしないといけない)されていることがわかり、誰を、何を、信じていいのかわからなくなってくる。同じ様に、人にも言えるのであろう。知らない人は信じることが難しい。オープンな人間性。(もちろん影のある、それでなければバカだ)と
商売の大切さ。(スニーカーを売ること)人生の大切さ(幸せを見つけること)そのバランスを情報が左右する。
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