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月曜には自殺者が多いという記事を読んで、今日が月曜日であるということをふと、思った、もちろん一年には52回(?)の月曜日があり、それは人類の間にしばらくは存在する、習慣であろう。(シャンソンでは“暗い日曜日”であった)月曜日だから、そして自殺する人に、私はもちろん何もできない。しかし、世界の状況はひどいのかもしれないが、人生、世界は、ある時、捨てた物でない、と思わせてくれることがある。
先日、家のガキが家の中で走り、ドアの縁にぶつかり、頭を切り縫ったそうである。(実際私は見ていないのだが)そうしてそんなに急いだのかと聞くと、家の中に“お化け”がいたらと、びびり、走ったのだそうだ。だが、人生長くなると“お化け”以上に戦わなければならないものがある。それは、自分という名の巨人である。自分ではあるのだが、コントロールできない物が、自分の中には住んでいる。
山の中を一人で歩くと、自分と話すことが多くなる。なぜ、私はここにいるのか?なぜ山に登るのか?私は、マウローのように“そこに山があるから”などといえない。自分の小ささを感じるためである。面白いなどと思ったこともなければ、人に迷惑ばかりかけて、反省ばかりしている。それでも、自分の情けなさを確認するには十分だ。人生とは、そんなにすばらしい物でもなければ、見捨てた物でもないと、常にコインの裏と表だ。(パンドラの箱だ)
すばらしい話をしよう。目を閉じてみると、その中に宇宙が広がる。そこには、光があり、光は何かを導く。光のないところは闇だ。闇は光があるから闇であり、光は闇があるから光である。あなたは、光をつかみ、それと同時に闇をつかむ。
月曜日である、皆さんが幸せにやるように、私は祈る。もちろん私には何もできないのだが、
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原宿とは、とても面白い場所である。慣れてしまうとあまり感じなくなるのだが、“竹下通り”と“表参道”という二つのあまりにもかけ離れた道を中心に街が作られている。表参道は、少し大人のにおいを漂わせ、竹下通りは、小学生、中学生の人気スポットとし。そして、竹下通りの延長の道、明治通り、表参道、遊歩道の本当に少しの場所を、裏原宿と私は、認識している。
その裏原宿にここ数年大きな変化が起こっており、もうこれは止められ何のだろう。どういった変化かというと、大手の一流企業が、土地を買い進め、そこに進出しようとしたり、大きなお金が動く話が多くなっているのだ。かつての、チャプターの場所の一つとなりは、ワールドが買ったとの噂。大手企業が、名前を変えて出店、大手企業の原宿のブランドへの出資。等、とうとう原宿には夢がなくなってきている様な場所にある様な気がする。
そのような動きがなぜ、夢をなくすのか?それは、日本の若者が簡単に出店できなくなるからだ。多くの馬鹿な、しかし、勇敢な若者を、原宿は、いや、日本は求めているのである。求人広告。だが、面白いことも起こっているのである。海外の個人でやっている様な若者が、原宿にやってきては物を買っているのである。それを、彼らの国に卸し、商売をしている。そして、その人たちが、日本に会社を作り、仕事としてやり始めている。
かつて、アメリカのレストランにいくと、メキシカンの人は、ボーイとして働いていたのだが、今は、オーナーとしてお店を経営している人もいる。同じ様なことがこれから、日本でも起こってくるのだろう。世界がフラットになって来るのである。そこには、人種のフラットは起こるのだが、富の差は、広がるという現象が起こるだろう。中国人のお金への執着は、並外れた物だ。また、多くの海外の人の、”ボーダー”という考え方の、日本人との違い。
私は、日本の未来に心配していない。なぜならば、地理的に孤立でき、政治的に、世界の平和的に貢献できる場所であると思われるからだ。(普天間問題もそういったこの表れではないだろうか?)世界は、思った以上に平和ではない。(私が、勝手に)そして、日本人のようにのんきではない。日本人がコントロールできない国であっても、日本は、日本である。(海外の人に国を乗っ取られるといっているのではない。タダ、国の政策決定がこれまで以上に自国で決められなくなるのだ。)
これから多くの原宿という街に。大手資本、海外資本が入り、街の型を変えていくのだろう。どのように変化していくのか?そして、チャプターも。私は、原宿に住んでいるのだが、土曜の朝、7時に中国の人は、土地を見に神宮前4丁目に来て、カメラでその土地を写し、話している。
おはようございます。朝ですよー
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今日は、スニーカーの話をしよう。
スニーカーの商売をやり始めて、15年以上になる中で、いろいろな人に会う機会がある。その中の今井崇ことマッドフッド(前回、彼は天才だと述べた)も、その中の一人であるが、私の人生で今でも心に残る、すてきな三人組がいた。
彼ら、一人はオッチャン、もう一人は秀才、もう一人は女たらしである。オッツチャンがチームの司令塔、そして、秀才とオッチャンがスニーカー、その他のプレミア商品がありそうな、世界の分析。特に、女たらしが、世界中を駆け巡る。そして、商品を日本にもってくる。まさしく、すてきな三人組に登場するように、荒稼ぎをしていた。
彼たちの商品でいうと、キムタクが当時履いた、AIR MAX 95の赤グラデは、この三人組が、ヨーロッパで探してきたものだ。(当時はほとんどの人がすでに持っていなかった。)そのおかげで、それ以降のMAX 95の売れ行きは飛躍的に伸びた。また、95のイエローグラデも多く探してきては、僕たちに卸してくれていた。チャプターへの協力は、なみなみならぬものがあり、今でも感謝している。また、多くのことを彼らから学んだ。
1、海外送金をパスポートにできる。
2、現地の人を、足のように使う。(女たらしは、現地の彼女の親戚をこき使っていた)
3、世界中を安く移動するには、アジア圏に拠点を構え、秘本という国に固執しない。(彼らの拠点は、タイであった。)
4、遊び心を持つ(彼らは、酒も飲まずにどこの国でも大騒ぎしていた)
ある時、彼らはベトナムでこんなものを見つけた。とMAX 95のアッパーに、トライアックスのボトムを付けた、スニーカーが街でうっていたと持ってきた。(彼らは、偽の物だと知り、遊び感覚で持ってきたのだ)しかし、今思うとそれらは、24/7であり、ナイキがいう、ハイブッドの商品である。MAX95の復刻はよくでるが、今回のMAX 24/7は初め見た時に、偽物だと思ってしまった。
スニーカーの歴史の上に、私の歴史があり、その中で、その時、その時の思い出がある。ときどき、思い出しながら、前に進むのである。キムタクが、24/7を履かないのか?などと思うのは、私だけであろう。そして、人々にはすてきな出会いがある。などとしんみり思うのも。彼らは、今も世界のどこか?日本ではない?にいる。(女たらしは、バンコクにいると風の便り)彼らは、すでにスニーカーなどは探していないだろう。しかし、私は。遠くに来てしまったものだ。
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上場企業は、毎月の売上げを開示しなければならない。そして、四月の数字もでてきた。特に目を引くのは、ABCマートの強さである。そして、なぜかUAこと、ユナイテッド アローズの業績がいいのである。この関係から、どのようなことが読み取れるのか、考えてみたい。
まず、ACBマートの強さは、国内、韓国、台湾と揺るぎないように思われる。理由の一つは、ABCマートに対抗できる大型チェーンのチヨダの低落ぶりに表されている。それは、いろいろな面でABCマートに有利になる。まず、大手ナショナルブランドが、売りあげ規模の大きい、ABCマートに、安く、いいものをもっていく。その相乗効果。また、私もABCマートの店頭に行くのであるが、社員の質が高い。これは、見習うべきところである。また、他社に先駆けて、海外展開をしている。日本で売れなくとも、韓国、台湾で売れるものもあれば、逆の場合もある。また、会長の三木氏の事業欲の深さは、大切な力となっている。
UAの方は、かたや、24%ほどの株をABCマートに握られ、買収の危機にある。この株の買い占めも、いろいろなことを人は言う。“政策的買収である。”“むかし、ABCがUAに業務提携の話にいった時に、UAサイドがABCマートを馬鹿にした”など。真相はわからないが、現実はUAは、株の中にポイズンピルを入れてしのいでいるのである。
しかし、ここで注目すべきなのは、UAの火事場の馬鹿力なのではないだろうか? ABCの一部になりたくない、という必死の抵抗がみてとれる。また、人は追いつめられると、馬鹿力がでるものなのである。(社長の重松氏の、メディアへの登場、アローズの方向性の記事は増えている)歴史的に見ても、自由を求める力は、時に大きな力を生むのである。しかし、私は長い目で見るとUAの抵抗は、うまくいかないと思う、もしくは、株価が上がったとこれで、ABCマートは株を売る。後者の場合は、UAに感謝すべきである。
荘子の中にこのような言葉があったと思う。“小鳥は、かごの中にいるより、外界を愛する。たとえ、厳しくとも” その精神は、今の世の中でいうと“遊び”ということであろう。人生は、遊ばなければ損である。その遊びの種類がそれぞれ人により違うのだ。
私達のチャプターには、遊びがあるのか? 先日も、商品の質が落ちたと、文句を言ったのだが。
しかし、すべて私の責任、(お店に来たくれた人、すみません。頑張ります)と、どうでもいいことを思いながら、時間を確認。はやはや
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むかし、むかし、若いーーー”人生はまれに肴にて子らみながうましうましとくひてくうときぞ”なのか、“五月雨を大河を前に家二軒”なのか、“唱ふれば神も仏のなかりけり 南無阿弥陀仏 真美阿弥陀仏” なのかといろいろ解釈できるのだろうが、人生40年(42歳である)も生きると、そろそろ自分の限界も見えてくる。もちろん時間的なことであるが。
仏教の教えの中には、死を人生の一部と見なし、心の平和を、人生の意義を問い、死の恐れをなくす教えがある。しかし、私といえば、困ったときの南阿弥陀仏、南阿弥陀仏であり、それ以外はすべてを忘れてしまっている。何ともはや。鴨長明の方丈記の終わりの印象を共有する我が切なさである。(本日は、皆さんに解注させることが多いと思う。まさしくこれは、皆さんと私の中の共有できない部分であると思う。)多くの人がその日、その日を生きており、その濃度とはその人その日によって違ってくる。まさしく、私は生をまじめに、私なりにしか生きていないのだ。
努力という物は、報われるのか?などといった意味があるのかないのかわからない質問が存在したとしよう。これは、その生き方の限度の問題であり、その問題の箱の大きさがわからなければ、その答えもわからないのである。(マンキュウの経済学の十題原則の一つ、すべては限界で考える、そして、三島がいう小説の書き方とは、箱の枠をはじめに決めることなのである。)そうすれば、このように飛び跳ねた、ブログにはならないのでは?それも私の私なり。
そして、商売。スニーカー(靴)という物を売っている。生きるために売っている。(買っている)商という言葉が、中国の“商”の人たちにより、生きるために(国の存続の意思を表すために)行われていた集団的行為である。となると、この行動は私にとって大切なことである。生きなければ、ならないのだから。しかし、今の世の中は、生きることだけならばそれほど難しくない。なにせ、生死をかける必要が(死が遠くなった世紀、なのである。これも私なりの商売の仕方であり、これ以上これ以外のものではない。
だから、今の若い人は働かないというのではなく、今の人の多くは、まじめに働かないのである。だから、私もだらけてしまう。困ったものである。人生42年だらけっぱなし。しかし、それでもしょうがないとも思う、けっこう楽しいのだから。わからないことだらけ。問題だらけ。人生で読みたい本はたくさんあるが、それを読んでもすぐに忘れるだけ。
それでも、晴れの日はうれしい。清々しい。朝.
It is fine
Life is fucking shit, fucking beautiful
Also I am
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スニーカー業界、いや、世の中とは、常に変化しておりどのような職種についても時代に取り残されると、その業態の中で役割がなくなり、自然淘汰される。(その時間の長さが、30年といわれており、多くの企業がその時間の長さを一つの節目としているように思われる、それ以上に存続している会社の多くが、社内での業態を変えている)スニーカー業界の変化もやっと見えてきたように思われ、それを考えると、スニーカー業界の未来はないといえるのではないだろうか。
靴、スニーカーの消費は、人口によって大きく変わる。これは、人の足は、基本的に2本であり、これは、計量経済学的にも、(Y=AX)いえるだろう。(もちろん、私が実際に計算したわけではないが)そう思われる中で、これからの日本は、人口が減っていくのである。足数は、これ以上増えないのではないだろうか?また、成長期の子供の消費は、大人の、特に老人の消費よりも多いだろう。そこでも、靴、スニーカーの消費には、否定的な考えが,付きまとう。
ここまでは、普通の人も考えられること。これからが、私のいいたいこと。それは、何かというと、スニーカー業界は、アパレル業界が靴、スニーカーに力をいれるにつけ、縮小していくということ。多くのアパレルメーカーさんが、オリジナルの商品を多く出し、靴市場のシェアーを奪っている。特に、女性の場合はコーディネイトが大切になり、靴(スニーカー)との服の相性で、売上げが大きく変わる。
百貨店の1階の売り場、靴(特に普段靴)専門店は、なくなる傾向ではないだろうか?実際に、多くの館でのシューズ状態の売上げは、大きく落ち込んでいるように見受けられる。これは、はっきりその売上げが、アパレルメーカーさんのシューズに取られているのである。すなわち、特別専門的な物を扱う、業態か、普通の物を安く売る業態しか生き残れないのである。
以上のことをふまえると、ABCマート、チヨダ、アスビー、その他多くの地方のシューズチェーンの数は多すぎる。これから、淘汰の時代なのではないだろうか?また、我がチャプターもより特化した商品を探すことができないと、または、紹介できないと、未来がないのではないだろうか?(もしかして、すでに未来がないと思っている人も、このままでは私自身そう思う)以上のことを理解し日々業務を行い、現状を変えていこうと思っておる。朝から、なんと、前向きなのだろうか?
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韓国の哨戒艦が沈み、その検証結果が、北朝鮮の魚雷によるもの(関与)であるというニュースを見て、恐ろしくなってきた。この問題は、多くの専門家がすでに述べており、スニーカー屋が、発言することではないのかもしれない。しかし、スニーカー(靴、特にファッション性の高いもの)を扱う弊社は、世の中の平和を特別愛するのである。なぜならば、平和のない様なところでは、スニーカーなどは売れないからである。(しかし、最近ナイキはアメリカ軍用にブーツの供給を始めたようだ) この北朝鮮の行動をどのように、理解すればよいのだろうか?まず、私が個人的に思うに、北朝鮮政府は、あえて韓国の哨戒艦を魚雷で沈める必要はないのでは?と思う。すでに、北朝鮮は核をちらすことにより、多くの国から、多くの支援を受けている。それならば、その行動を継続させた方が、簡単であり、国際世界においても、“またか、しかしどうにかしないと”という様なコンセンサスの中から、うまく有利な条件を引き出すことができるであろう。 また、キム氏の健康に問題があるように見受けられ(相続問題)、また、北朝鮮内の経済状況(デノミの失敗など)が流れるにつれ、国内の政治的(この国では、経済も政治と一緒に考えていいと思う)混乱が起きているように思われる。それは、多くの船頭がいくつかの別々の船を導いているように見受けられる。そして、今回の事件も軍部の単独、自己主張のように思えてならない。 同じ様なことが、多くの斜陽企業にいえるのでは、ないだろうか?指示系統が分断され、それぞれの判断でそれぞれの指示を出し、最後には滅びていく。多くの国も同じ様な、過ちを繰り返すのである。企業ならいいかもしれないが、これが北朝鮮の様な国になってくると、違った意味合いになってくる。なぜならば、もっと大きなものに、その、それぞれのものが指示される危険性があるからである。 世界は、過剰生産が進み、多くの国で需要ギャップが目につくようになってきた。誰かが、もっと物を買わなくてはならない。しかし、現状では無理がある。ならば、壊すしかない。と、くれば戦争である。ならば、誰が特をするのか?などと推測のレベルを超えないことを考えると、恐ろしくなる。また、このように考える自分を嫌になる。 世界は、そんなに幸せではないのかもしれない。スニーカーとは相容れない世の中なのかもしれない。しかし、平和とはすばらしいことだ。今日もランニングをしていたい。幸せの足音を、ランニングの足音を 今日は、雨だが
投稿情報: 12:23 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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本を読んでも何もわからない。しかし、私は本を読む。文明の崩壊”に続き、今、ジャレッド、ダイヤモンドの“銃、病原菌、鉄”を読んでいる。こん本は、人の進化の差異の理由を述べており、(この11000年の間にどうして、人類には大きな差異が、起こったのか?)その中で、情報(ここでは文字)のこと、すなわち、知識の差が、多くの人々、そこに住む部族の未来を大きく変えていることを述べているのである。
同じ様なことが、今の企業間の中でもいえて、その情報の違いが、その企業の成長を大きく変えるのである。例えば、多くの株式投資の本に書いてあることだが、“大手の投資家には、個人は勝てない”というのが、もっともわかりやすいのではないだろうか?これの理由は主に情報量の差である。大手には、それなりの情報が入ってくるのだが、個人にはなかなか情報が入りづらい。もちろん。現代においては、検索の機能もあがり、多くの人が情報が入手しやすくなっている。だが、その情報の質となると、まだ格段にさがあるのである。(本で読んだものと、実際に、それを体験した人の話を聞くのとは大きな違いがある)
弊社は、スニーカーを扱う。もちろんそれで利益を得ており、それなりの情報を社員の者が集めてくる。このごろの、トレンドとして”駅から歩いて5分、雨が降ってもぬれない”というように、多くのデベロッパーさんがいろいろな提案を弊社に持ちかけ、出店のオファーがある。(私達の商売が、ニッチであり、かなりファッション性のたかいものを扱っているので、他店と差別化ができるからだろう)その中には、今まで既存に入店している、お店をどけて、弊社の出店を促すところもある。それらのお店が、上場企業であり、その店の看板店であったりすると、私自身、その店の将来が、(もちろん他人であるが)心配になってくる。
会社(企業)とは、大きくなると、どうしても風とうしが悪くなる。(伝言ゲームを同じように)内部的な情報伝達の欠如。しかし、恐ろしいのは、落ち目の企業になると、外部からの情報伝達の遅延が起こってくるのである。これは、いけない。何せ他人なので(同じ会社の人は身内である)情報を吐き出させることがなかなかできない。落ち目の巨人は、遅かれ少なかれ、死を迎えるのである。
また、企業は市場の情報を集めようとする。または、その情報を囲い込もうとする。特に今顕著なのは、IT関連の企業の情報収集であろう。しかし、集めすぎる、その企業が、イーボー(悪徳)と見なされると、攻撃される。その狭間で、企業は情報を囲い込もうとするのである。何せ、それがお金に換わるのだから。それが今の世の中の仕組みであり、それにならないと絶滅してしまうのだから。
イギリス政府(キャメロン)は、“ブリッシュの国債の格付けについて、述べている。それも政治理念を述べる時に。もちろん、政治と経済とは多くの部分で重なる。しかし、政治とは、少しお金とはなれたところに、視点があってしかるべきであろう。国がこれなのだから、企業、個人ともに情報(マネー)を集めるために、日々や努力をしてしかるべきである。
何ともやるせない世の中になった。
そして、蒸し暑くなってきた、東京である。今日は、本屋で読書といこう。
投稿情報: 11:29 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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このブログを書く。ブログにはいろいろな機能がついていて、日に何人見ているのかといったものもわかる。私のブログなどは、あまり世の中には役にたっているとは思えないのだが、毎日書いていると少しずつ読んでくれている(見ているだけかも?)人が増えてくる。しかし、たいした数ではない。そうなのである。僕のブログなど誰も読んでいないのだ。しかし、その少しの中にも面白いことが起こるのだ。
その現象とは、私の周りの人が私にブログの感想を述べるのである。どういったことでもない内容なのだが、最後にいきつくのは、みんなスニーカーのはなし。そして。ABCマートの話である。みんなABCマートの悪口を言う。しかし、それが本当に悪口かというと、ABCマートに市場を押さえられた、人たちの愚痴にしか、聞こえない。私的には、ABCマートのビジネスモデルは、すばらしいものであると思う。
先日も書いたのだが、ナショナルブランドをえさにして、その中に自社ブランドをおく。その自社ブランドの利益率は、かなり高く。高収益を上げている。その利益で、出店をしさらに売上げをあげる。商売をしている人は、わかると思うのだが、なかなかそうはうまく成功しない。もちろん時代の流れもあると思うのだが、そううまくいかないだろう。
すなわち、僕のブログを読んで僕にABCの悪口を言わないでもらいたい。僕とは何も関係なく、商売の仕組みもまったく違う。また、三木さんと私は、人間的にもまったく違う。私には、ガキが二人いてそれなりの生活をしている。小度胸な親である。しかし、三木さんには、妾の子供がおり、その妾が他の人とつきあうと、子供の養育費を削っている。まさしく、企業は、一流、現代的でも、生活はアフリカの大さまだ。(これが悪いとは、いっていない。しかし、皆さん、庶民は、また先進国では普通ではない様な気がする。)
お金とは恐ろしい。お金を持っていると何をしてもいい様な気がしてくるのだろう。権力とお金はかなりの部分で一致する。だからといってやっていいこと、悪いことは、もっていたい。私のガキの一人は、三木さんのガキ(妾の子)と同じ幼稚園にいっていた。その子は、これからどうするのだろう?(もちろん僕にとっては他人である。)しかし、多くのガキに、未来の人々に希望を。などと思うと、ABCマートとオーナーの行動の隔たりを残念におもう。
商売と人間性はとても違う。僕は、平凡な人生を生きるのである。しかし、ABCマートはすごいなー。こんなことを書いても誰も読んでいない(とても少しの僕の周りの人)ブログは、消えていく。
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